VOL32 不揃いなガイドたち
人の不幸は蜜の味
ガイドのMは親元から通勤していた。普通ガイドは大抵自活している。
それは、経済的にゆとりがあることもであるが、年齢的に一人暮らしをしてみたいという年であると同時に、シーズン中は不定期な仕事状況だったり、色々差し障りがあるからなのだが。
昔、研修期間中は寮に入っていたけれど、その後は親と一緒の生活をしている。
家には両親と、どうみても悪たれな弟と、見るからに頭の悪そうなハスキー犬が1匹同居していた。
このハスキー犬、結構大型で、顔を見ると怖い。何でも外国産ということで、目が青い。こやつは人なつっこくて、家に遊びに行くと、ハッ、ハッ、ハッ、と息を荒くして走り寄ってくる。
しかし、さっきも言ったが顔が怖い。外人特有の青い瞳でチョッと釣りあがった目、また、歯がでかい。
擦り寄ってくると、なぜか人の周りをくるくると二、三度まわり、そして必ずスカートの中に鼻を突っ込んでくる。怖い顔して迫ってくる様子は・・・ものすごく怖い。
あせってぱしっと叩くと、歯をむき出してウウッとうなる。側にあった孫の手でどつくと、キャンといって逃げる。
まったく、スケベで威圧的で、そのくせほんとは無茶苦茶弱い。どっかに居たなこんな奴。
さて、このハスキー犬のチョビ、どうも飼い主に似たらしく頭が悪い。そのくせ妙に女好き。
居間で話をしていると。先程どつかれたので、少し距離をおいたところに伏せの姿勢をしてこちらを窺っている。Mと暫く話をして、ふとチョビはどうしているかとみると、もう我々の手前一メートルくらいのところでやはり伏せをしている。
ん?お前さっき二、三メートル離れていたろう。
Mと話をしながら、ぴっと振り向くと、起き上がってにじり寄ろうとしたのが、ぴたっと止まって伏せの姿勢をとる。
お前は一人で「だるまさんがころんだ」をしとるんか!
気を付けて何度も確認するが、目を離すとそ〜と寄って来ようとする。振り向いたりして、目が合いそうになるとぴたっと止まって動かないふりをしている。
なんだいこいつと思って黙っていると、お尻のほうに鼻を摺り寄せて、むさぼるように匂いを嗅いでいる。
私のお尻がそんなに臭いか!
再び孫の手一閃。チョビはきゃんきゃんといいながら、居間の隅に逃げる。これで懲りたかと思いきや、またじっとにじり寄るチャンスを窺っている。
「こいつはねえ、家にくる女の人なら誰でもいいんだよ。」
Mの弟が言った。
「もう、どうしようもない女好きなんだから。」
イヌの癖に人間の女が好きだとは困った奴だ。そのくせ顔が怖いから、結構嫌われる。
Mの弟が再び言った。
「大体、3歳から60歳くらいまで守備範囲だよ、こいつは。さすがに70のばあちゃんとこには、寄っても行かなかった。」
この犬、きけば軍用犬で力が強いので、犬ぞり等によく使われるとの事。確かに身体が大きいし、慣れるまではこんな気の小さい奴とは思わなかったから本当に怖かったが、実際はおとなしいと分かってからは結構平気で孫の手攻撃をしている。
「Aは本気でたたいているよね。」
「なんかね、最初はこんな叩いたらかわいそうかな、なんて思ったんだけど、チョビの奴、わざわざ叩かれに来てるみたいで、それじゃあ、こっちも真剣に叩いてやらないと失礼かな、とかさ。」
「うん、こいつ、叩かれるの好きだよきっと。だって叩かれても、絶対遠くには逃げないも。」
「Mも叩くの?」
「私はグーでいくね。」
なんというイヌだ! そう言っている間にも、チョビはかまってほしくて、チョッとづつ側に寄ってきている。
どうもチョビには叩かれているという実感が感じられない。遊びと思っている節がある。何故かというと、Mも私もやっぱり本気では叩いていない。キャンキャンといっているチョビが、懲りるでもなくかまって欲しくてじわじわ寄ってくるのはそれが楽しいからなのだろう。それにしても、じっと見上げたチョビの顔はやはりこわい。
「チョビを散歩に連れてって!」
Mのおかあさんが台所からMに叫んでいた。
「賢司に行かせればいいじゃない。」
Mは異議申し立てをした。これは実はその後に起こる悲劇を予感してのことだったのだろう。思えばこの時拒否をして置けば、続く悲劇は回避されていた。
「賢司、出かけちゃったわよ!」
「えー、どこに?」
「なんだか、友達のところに行くって言ってたわよ。」
「今日ぐらい散歩させなくてもいいじゃない。せっかく友達来てんだから。」
「昨日も散歩連れてってないんだから。Aさんも一緒に行ってきません?」
これは命令である。
大体、私はこの家に遊びに来るようになった当初から、どうもお客さんと思われてはいない気がする。
おかあさん、娘のところに遊びに来た友人を捕まえて、買い物に行かせたのはおかあさんが始めてです。
いえ、これは決していやみで言っているのではありません。驚嘆しているのです。
そう言えばMに聞きましたが、残業で遅くまで仕事をしてくたくたになって10時過ぎに帰ってきたご主人に、帰宅一番「いいところに帰ってきたわ、ビール飲みたいの買ってきて!」といって食事も与えずに追い出して、ものすごい怒りを買ったそうではありませんか。おかあさまの武勇伝をいつかこのページでご披露したいと思いますが、Mの許可を取ってからということで今回はパスします。
さて、二人してチョビの散歩に行くことになったのだが、当人というかチョビのほうはというと、散歩に行きたいのか行きたくないのか甚だ無関心である。ところが、首輪につける引き綱を持ち出すと態度が一変する。まだ引き綱を付けてないのにドアのほうに行って、開けるのを催促する、ハッ、ハッ、ハッと舌をだらりと出して、息も荒くあの怖い顔でにらむのである。
おい、そんなににらむなよ!それでなくても威圧的な顔なのに、目がますます釣りあがって、コワイの通り越して妖怪ぢみてるぞ。
「私はパンプスだからね、付き合うだけだからね。」
ジーンズに着替えたMにけん制をかましておいた。ガイドは頭脳労働で、主に使う筋肉は口と笑顔を作る顔面筋肉だ。走ったり跳んだりは私には似合わない。
やはりここは肉体派のMに任せよう。それにチョビは私のイヌではない。
Mの家は札幌でも新興の住宅地で北区の外れ、もう石狩市に近いほうにあった。あと、暫く行くと市街化調整区域とかで、単なる原野みたいなところになる境目だった。回りは自然がふんだんにあるといっても、単なる原っぱで身の丈ほどもある草がぼうぼうに茂ったところが目の前だった。
その原野と住宅との仕切りの道路沿いにチョビを歩かせるのだが。これが早い。おまけに強い。
Mが身体を後ろにそっくり返って止めているのをぐいぐい引っ張っている。いつも私のスカートの中に鼻を突っ込んでくるチョビとは思えなかった。
「すごいねえ。」
「止めながらでないとあるけないよ。」
「逃げたりしないの?」
「こいつは臆病だから、綱離すと、急に私の側に戻ってくるんだ。」
「へえ。」
初めて知った。よくテレビなんかで、イヌの散歩で子供が綱を話すと、びゅーと走っていってしまって帰ってこないのがあるが、犬によりけりということなんだろうか?
「離してみたことある?」
「何回も。」
「必ず戻ってくるの?」
「こいつ馬鹿だから、私が離したの知らなくて、はっと気が付いてあせって私を探すことあるし。一度なんかは面倒になって離したら、そのまま家に帰って、かあさんに私のこと聞かれてはっとしたらしく、また私のところに戻ってきたことあった。」
「結構頭いいじゃん。」
「そう思ったら、裏切られるよ。」
悲劇は突然やってくる。
「あ、キタキツネ!」
原野の端の道路に近いほうに道東や道央ではおなじみのキタキツネがいた。首を傾けて振り返るとこちらのほうを見やった。
と、いきなりチョビがダッシュして駆けだした。
「チョビ待て!チョビ待て!」
Mの制止する声が聞こえていたのかいないのか、キタキツネの方向に向かって突進状態のチョビは止まることなどなかった。
キタキツネはくるっと向き直ると道路沿いに真っ直ぐ逃げ出した。
道路の右側は排水の溝が切ってあり30センチほどの水が流れているでもなく、溜まっていた。その時一瞬だが脳裏を掠めたのは、やはりハスキー犬を扱ったチョビの命名のきっかけになった漫画だった。その中に確かにあった『ハスキー犬はどぶに落ちやすいイヌだ。』と。
その通りになった。チョビは道路の端の溝の中に突入することをためらわなかったし、Mはそれを止められなかった。
「う、わ、あ、わあ、わ、わわわあ・・・・(以下意味不明)」
Mはチョビとともにどぶに近い泥水のなかをずぶずぶと走っていた。青みがかったチョビの毛並みはすぐに黒く染まり、ブルーのMのジーンズは膝のところから黒のツートンカラーになっていた。
キタキツネはどぶ沿いを走っていたが、原野の内側に入った。チョビはどぶの溝から這い上がろうとするが、高さが60センチばかりでなかなか上がれない。
「チョビ!待て!待て!待て!」
Mが懸命に制止するが、ついにチョビは溝から上がる。引きずられるようにMも溝から上がる。
かに見えたが次の瞬間、Mを引っ張っていた綱がチョビがMの方に戻るしぐさをしたために緩んだ。
べちょっ!
Mはしりもちをつく格好で溝に落ちた。さらにその上にMが落ちたことにより引っ張られたチョビが落下してきた。Mはどぶのなかにチョビを抱いて横たわっていた。
「大丈夫?」 聞くほうが野暮かなあと思いながら、一応聞いてみた。
「口に泥入った!」
ぺっ!ぺっ!と泥を吐きながら、Mはチョビの頭を叩いていた。
チョビが泥の中でもがくと、そこいら中に泥が飛び散った。
「ね、助けて、起こしてよ。」
私は少しためらった後、「頑張って一人で上がれる?」と聞いた。
Mはのろのろと起き上がると、四つん這いになって溝から這い上がってきた。
むかし、アメリカ横断ウルトラクイズという人気番組があって、その中でグアムで行われた泥んこクイズというのがあったが、Mの姿はそれを連想させた。
その横で泥だらけのチョビがぶるぶるぶると身体を震わせると、泥が当り一面に飛び散った。
「きゃっ!」
といって私は跳び退って、泥の襲撃をよけたが、Mは呆然としてその泥を受け止めていた。
「お願いだからそんなにこっちに寄らないでね。」
「冷たいね。」
「こういうときあんたなら抱きしめてくれる?」
「いいや、もうほうって帰ってる。」
「でしょ、帰らないだけ誠意があるでしょ。」
「あんたの車のキーが私の部屋にあるからでしょ。」
「それもあるけど。」
チョビはもうキタキツネの事をすっかり忘れたらしく、家に向かってMを引っ張り始めた。
私は側についていると泥が飛んできそうなので、なるべく離れたところでついていった。人通りは余りないところなのだが、それでもときおり通る人が、Mとチョビを見て、笑いをこらえているのが分かった。やがて水分が蒸発してくると、チョコレート色だった泥は、白く固まり、ゾンビが歩いているように見えた。私はこみ上げてくる笑いを押さえるのに必死で、違うことを考えることで爆笑を乗り越えた。
家に着くチョッと前、突然チョビが座り込んだ。○○こ座りをして気張っているところから。○○こをしているとすぐわかった。
「なんだよ、今度は○○こかよ、いい気なもんだよ。」
Mは憎々しげに言った。さっぱりしたチョビが歩き出そうとしたのを制止して。Mは引き綱を左手に絡めると、持っていたビニール袋にう○○を取ろうとした。その瞬間、またチョビがくいと引っ張った。
おっちゃんこのスタイルで○ん○を採取しようとしていたMはチョビにひかれるとあっけなくぺとと前に倒れた。
「チョービイイイ!!!」
Mの叫ぶ声が200メートル四方に響き渡った。
灰色のセメントで固められたトレーナーの胸の所にワンポイントで黄色いマークが描かれた。
「お前なんか二度と散歩に連れてこないからね!」
そう怒鳴るMは髪も顔もセメント状の泥が乾いてこびりつき、胸にチョビの○○こをべっちょりと付け、チョッと離れたところからついていく私の目には怒りのオーラが渦巻いているように見えた。
この後Mがチョビを散歩に連れて行った話は聞いたことがない。
しかし、今でもチョビは遊びに行くとハッハッハッと舌をだし、私の後ろに回り込んでスカートの中に鼻を突っ込もうとする